使徒たちを呼んで、彼らをむちで打ち、
イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放した。
そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを
喜びながら、議会から出て行った。
そして、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けた。
使徒の働き5:40−41
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ガマリエルの態度は、「放っておく」という日和見主義的な態度でした。
しかし、使徒達は、決してこの福音を放っておくことをしませんでした。
むち打たれ、イエスの御名によって語ってはいけないと言い渡され
釈放されましたが、なんと、すぐに喜びながら議会から出ていき、
イエスがキリストであると語り始めたのです。
喜びにもいろいろな種類がありますね。
事業に成功した喜び。結婚の喜び。癒された喜び。
主によって赦され、救われた喜び。
しかし、彼らは、キリストのみ名のために辱められるに値する者と
されたことを喜んだというのです。
当時の議会の指導者たちにとっては、自分の主張が通ることが喜びでした。
自分の権威が主張できることが喜びでした。
ガマリエルは、そつない調停に喜びを感じたかも知れません。
しかし、使徒たちは、まったく違いました。
イエス様の御名のために生きること、生活することの中に、
喜びを見い出したのです。
それが、迫害の時であってもなんです。
きっと使徒たちはイエス様のこの言葉を思い出したことでしょう。
「人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、
はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。
その日には、喜びなさい。おどり上がって喜びなさい。
天ではあなたがたの報いは大きいからです。」
ルカ6章22節−23節

