〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。
使徒の働き18:1
・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
パウロは、このアテネを去り、コリントに向かいました。
彼はこの後二度とアテネには戻らなかったようです。
たぶん、パウロの生涯でもっとも落ち込んだ時が、この時だった
のでしょう。彼はすっかり自信をなくしてしまいました。
パウロがコリントに着いたとき、弱く、恐れ、ひどく不安であった
と、コリント人への手紙に自分で記したほどですから。
あのパウロも恐れ、不安に駆られたのですね。
私たちは、時々、ひどく弱く、恐れ、不安な思いの中にあることが
ありませんか。牧師をしながらも、ときどき無力さを覚え、なかなか
福音が伝わらないことへのいらだちを覚えることもしばしばあります。
しかし、そんなときでも、イエス様は、決して離れず捨てない、との
恵みの言葉を握りしめ、歩んでいきたいですね。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
・・・ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、
「このことについては、またいつか聞くことにしよう。」
と言った。 使徒の働き17:32
・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
パウロのアテネでの宣教は、彼を失望させ、意気消沈させる
結果になりました。パウロは、これまでどんな迫害にも耐えて
きました。しかし、ここアテネでは、暴徒たちによって石を投
げつけられることはありませんでしたが、パウロにとっては、
福音が伝わらないことがとてもつらい経験だったのです。
彼の語る言葉に、ほとんどの人が興味を示しませんでした。
ある人は、あざ笑いながら「このおしゃべりは何を言っている
のか」という具合でした。
要するに、まったくの「無関心」だったわけです。
アテネの人は、イエス様に無関心、永遠の救いの福音に無関心、
すべてを治めておられる神様に無関心でした。
わざわざ「知られない神に」と祭壇を造る熱心はあっても、
求める心は持っていなかったのですね。
パウロは、意気消沈し、この後コリントに向かうわけですが、
人生の挫折や落胆は、人生の必要な糧なのだと思いませんか。
パウロにとっては、この落胆が次に進むステップとなっていく
のですね。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
・・・ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、
「このことについては、またいつか聞くことにしよう。」と言った。
使徒の働き17:32
・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
アレオパゴスの丘で、語るパウロの言葉を聞いて、
アテネの人々の反応はどうだったでしょう。
「あざ笑った」のです。「くだらない話だ。世界の裁きだって、
死者が復活したって?ありっこない。冗談でしょう。」
残念ながら、彼らは、パウロをあざけり、「またいつか聞く事にしよう」
という反応をしたのです。
そのうち、また聞きましょう!という態度です。
17章のなかほどにでてくるべレヤの人たちは、熱心に聖書の言葉に耳を傾け
ました。しかし、アテネの人たちは、「そのうち聞きましょう」という態度
だったのです。大切なのは、「そのうち」でなく「いま」なのですね。
創造者なる神様の中に生かされていることを覚え、「そのうち」でなく、
「いま」を大切に、生きていきましょう。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、
今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。
使徒の働き17:30
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
神様は悔い改めを命じておられる、と聖書は教えています。
悔い改めとは、「方向を変える。向きを変える」という意味です。
今まで、「神様なんて知りません!必要ありません!」と無視していた、
そんな歩みから向きを変えるということです。
回れ右の人生を選ぶということですね。少し勇気が必要ですか?
聖書は、この世界はいつの日か終末を迎えると教えます。
ただこの世界が終わりを迎える前に、私たち一人一人の終末がある
でしょう。そんな私達の人生が後悔に終わらないために、神様は、
あなたに、向きを変えて人生を歩むことを命じておられるのですね。
イエス様が来られた目的は何だったでしょう。
それは、私たち一人一人の罪を背負い、十字架についてくださるた
めでした。しかし、イエス様は、三日目によみがえられました。
死は決して人生の終わりでないことをイエス様は教えられたのですね。
そして、人は、このイエス様によって、罪のゆるしと死を乗り越えた
いのちを得ることができるのです。だから、命をかけてくださった
キリストが示された神の愛の中に歩んでいくこと、これが神様の願い
なんですね。
*お知らせ
「恵みあふれる聖書の世界」が本になりました。
「神の愛」の本質を3通の『ヨハネの手紙』から少しずつ丁寧に
読み解いた116のショートメッセージです。
どうぞ書店又はインターネットの各書店でもお求めください。
定価1050円(税込み)
出版社 いのちのことば社
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。
私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。
使徒の働き17:26
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
あなたにとって支配者という言葉はどういうイメージがあるでしょう。
なんだか横暴で、すべてをコントロールしてしまうかのような響きがあ
りますね。
支配されるなんてまっぴらごめんだ、自由がいい!だれもそう考えます。
でも、神様があなたを支配するということは、あなたの最善を考えて行
動し、治めることを意味しているんのですね。私達はいろいろなものに
よって支配されていますね。空気によって人は支配されて生きています。
空気がないと死んでしまいますから。この地球の大気の中で支配される
のは窮屈と感じますか? 窮屈だと感じて水に潜ったら、または宇宙に
出たらもっと大変ですよ。
私たちは、自由を求めますが、その自由には必ず制限がついているの
です。空気がなければ、生きていけません。魚は、水の中でないと自由
を謳歌できません。人間は、不信と憎しみの中では、本当の自由を得る
ことができないのです。
愛なる神様の中に生き、存在しているという確信を持つことによって、
人間はもっとも安心して歩む事ができる「自由」の中に生きていくこと
ができるのです。
| ホーム | 次のページ